消してリライトして電源落ちておじゃん
ツァラトゥストラはやめて、宇佐見りん『かか』を読み始めました。河出文庫から出る新人作家の小説はハズレがないので買います。文藝や単行本の時点では高いし重いし買わない。。
以下、本文からの引用です。
うーちゃんは相手をからだに取り込んだときにだけ、そいを自分として痛がることができるんです。身内になってしまえば、自分のことだかん痛いのはとうぜんです。 (p.24)
どうしたってメルロ=ポンティの間身体性、身体の感覚拡張などの議論が浮かぶわけで、実際以下の引用に顕著なように一つの主題として貫かれている。
そしてケア(ヤングケアラー)と依存関係。
コロナ禍になり、学校の授業がオンラインになった事で、ヤングケアラーの学生が家で介護や手伝いをしながら授業を受けられるようになったという話をラジオで聴いたのを思い出した。
うーちゃんとかかとの境目は非常にあいまいで、常に肌を共有しているようなもんでした。 (p.41)
かかは自分の肉と相手の肉とをいっしょくたにしてしまうたぐいの人間なんです。 (p.57)
皮膚と境界、侵入と可傷性、「肉」ーー。
著者もきっと書きながらメルロ=ポンティが頭にいたはず。。
まだ60頁までしか読んでいないのだけど、これ、藤野可織『爪と目』と一緒に考えられる作品だ、痛みの描写、皮膚(表面)、女性の子どもによる語り、残酷さと批評性とか。
かかはいつだって鮮やかに悲しむ人だったと、思わん? (p.48)
シネ、と小さく怒鳴りながら吹き込む、最初の「シ」が、彼女の耳に突き刺さってくれればいいと願いながら電話を叩き切りました。 (p.49)
この作品、親子関係でしんどい経験をした、している人にとっては結構きついと思う。
わたしは親と昔から関係悪く、VADを着けて心臓移植待機している時には発狂寸前で自殺のことばかり考えていたし、移植後、母親と二人暮らしをしていた時には重度のうつ病と診断され、原因である母親と離れて暮らす事になったくらい色々あり、読んでいると全く状況は違うけれどおもた〜い気分が二乗される。。
関節の柔らかい文体がうまいなぁ
横浜のフードコート、昔あったビブ地下かな、伊勢丹かな、でもどっちも1人でいられるような場所じゃなかったもんなぁ、というか宇佐見りんさんの年齢だとフードコートだった時のビブ地下は知らんか。。
崎陽軒の炒飯、もっとおいしい記憶だった。。