アイデンティティがない?
こんばんは。
昨日の続き、『医療ケアを問いなおす』を読みました。後半はかったるくなりました。入門書だからこれくらいでいいのかな。
『現象学的人間論と看護』において、ベナーがメルロ=ポンティを踏まえて展開する「身体化した知性」。それは病いなどで損失する事もあるが、その度に状況に応じて生成変化する(本書ではフッサールの用語から「発生的成り立ち」とされている)。
、、、、すみません、ここから現代思想のいう別の仕方とか、獣、パフォーマンスアート、自分のこと、と話を繋げようとしたのですが、まぁいっか。になってしまいました。こんな日記など全て、まぁいっか。でしかないですね。
いいえ、そんなことない。大切などうでもよさです。ただちょっと頭使おうとした跡を残したところが浅ましい。
明日からはツァラトゥストラを読みます、どのくらいかかるのやら、、。
ニーチェは基本的に深刻な病人と相性悪いと思いますが、わたしは超人見習いなので、彼の作品はわりとすんなり受け入れられます。ツァラトゥストラに関する本は何冊か読んでいますが、ちゃんと最初から本文を読むのは初めて。
ウォシュレットヒット(おしりの穴にウォシュレットのお湯がドンピシャで当たること)すると、自然とおしっこがちょろちょろと出るの、無防備〜って感じしてちょっと好き。